雑記20181121-01。

オソワレル…

そのような体験をしたことはありますか?

底知れぬ不安な感情。

死について考えるとき、私は自分が死ぬことを恐怖と感じません。

私が恐れるのは、何かをやり残すこと。

平成元年のヒット曲について調べながら…

29年という月日はあっという間であって、1989年には21歳の兄ちゃんだった私は、2018年には50歳になっている。

本当にあっという間だ。

この、あっという間の感覚でこれから29年を上積みすれば、私は79歳。

これは、うかうかしているとやり残すことがたくさん出てきそうだ…

恐怖を感じます。

 

10月に友達が亡くなりました。脳出血であっという間のことでした。

直前まで、Facebookの方でやりとりしていました。

1981年に中学生になったときに同じクラスで…

学校の制服なるものを初めて身につけてふわふわしていた…

あれから37年。

私は大学生の頃から東京都内に出てしまって…

横浜に戻ってきてからも勤務先は東京都内だったので、中学高校時代の友達とは疎遠な時期がかなりありました。

しかしまあ、不思議なもので、中学高校の頃のように言葉をかなり端折ってしまっても言葉が通じる、対話が成立する…

不思議なものですが。

 

今年の初夏、お互い50歳を迎えるにあたり、

友達は「人間五十年」、織田信長にまつわる言葉を引き合いに出していました。

現代の日本人は平均して80年ぐらい生きますが、織田信長の頃の平均余命は50歳ぐらいでした。

が、

50歳でこれまでの人生はひとくぎり、これからの人生はサドンデスの延長戦であって、いつ死が訪れても、悔いのないよう日々を確かに送る…

13歳になる年に知り合ったふたりが、37年後、50歳になるにあたってこのようなやり取りをしていました。

友達は7月に、私は9月に50歳になって、人生の、いわば延長戦に突入した。

延長戦に入って程なく、友達は文字通りの「Sudden Death」によって一生を終えて、この世とは突然におさらばしてしまった。

私はまだ生きている。

正直なところ、50歳になりたくなかった。50歳をすぎて延長戦を戦う自分を考えたくなかった。

もう50年戦ったんだ。もういいじゃないか。

そう思いましたが、50歳を過ぎて延長戦を戦うべく腹をくくったところ…

友達は死にました。

なんだか置き去りにされた気分です。

私は腹をくくったので、延長戦をしかと生きていきますが…

私もいつなんどき、突然の死が訪れるかもしれない。

やらなければいけないことをやり残すことに、怯え・不安を感じました。

 

やはり、自分は置き去りにされているな。

そう感じます。

私にとって大事な人は、早くこの世を去る…

そのような思いは強い。

例をあげたらきりがない。多すぎて。

 

言葉を数多く要しなくても、自分を理解してくれる人が…

いなくなっていく。

 

孤独感、虚無感におそわれる。

ひとりぼっち。

ひとりぼっちは意外と平気だけども…

 

来月初めに友達のお別れの会があるのですが…

参列の予定ですが、非常に怖い。

 

今月の初めには中学高校の同窓会もあったのですが…

亡き友の話題が出たら、気持ちが保てないと思ったので不参加にしました。

 

お別れの会…

果たして気持ちが保てるか?

どうも無理そうな気がしています。

 

私は自分が死ぬことは怖くないのですが、

他人の死に対してとても敏感で大変苦手です。

 

事務所で【閲覧注意】な画像や動画をよく見ていますが…

実は苦手です。

他人の死に対してとても敏感で苦手な自分のこころを特訓して鍛えようとしていますが…

ダメですね。効果なしです。

 

それを理解してくれる人はいないな。この世には。

理解してくれる人は…

みんな死んでしまったよ。

 

風邪をひいて、ようやく治ってきたと思ったら…

またひいた。

まぶたが熱っぽくて重い。

発熱しているだろうね。

薬を飲んで収まっているが。

 

体調がいまいちだから、こころが弱るんだろう。

 

2018年も残すところあと40日。

自分に鞭をあてて、駆け抜けねばならんね。

 

 

では☆